Messege

ごあいさつ

Message

南信州伊那谷の地に初めて訪れたのは2014年の夏。
人の命を支えてくれている蜜蜂のワークショップでした。

伊那谷の風景、森、風を感じ、この地に暮らす人との温かさに触れ
「ここに住みたい」と夫婦で想いが一致しました。

「命」が求める場所につながって
未来の扉を開けたんだと思います。

たくさんの「もの」や「こと」があふれる中で、本当の御馳走がなくなってしまったように思える現代。
いま、なにを選びなにを大切にしていくか、どう生きたらいいのか、幸せとはどんなものなのか。わからなくなる時があります。
そんな中、移住してきて、求めたのは自然と共に在る暮らしかたでした。
ある日の夏、「ぶどう農家になる!」と決めた運命の一粒との出逢いがありました。
きらきらと輝く宝石のような美しさ。口いっぱいにひろがる香りと、さわやかな甘さと、瑞々しくはじける果肉。
今でも藤稔との出逢い、あの興奮は忘れられません。

運命の一粒との出逢いから、農家になりたいという強い願いを伊那谷の土地神様が導いてくれたのか、24年ぶどう栽培を続けてこられた農家さんとのご縁をいただき、葡萄の木と農地を受け継ぐことになったのです。


農と共にある私たち家族の暮らしが始まりました。
自然は、時に厳しく、時に優しく
春夏秋冬、1日、毎分毎秒。
変化のない日はありません。
今、を生きる私たち家族と作物たち。

その一瞬の中にある葡萄収穫の数か月は、祭りのような喜び満ちた日々となります。

年間30,000人以上が自分の命を絶ってしまうようになったこの時代。自然との距離が離れすぎたことが原因ともいわれています。
わたしたち家族の命が求めたように、きっとどこかで求めている人がいる。この美しい景色に育まれた自然の恵みを育て、その命にこの恵みを届けたい。
そして、オーガニックファームと森をつなげていくという果てしない夢を、家族と仲間と、これから出逢う皆さんと育んでいきたいと思います。



小林みのり農園について

「小林みのり農園」の名は、食べた時にぶどう農家になろうと決めた「藤稔(ふじみのり)」と、園主「稔之(としゆき)」から名づけました。
みのりはいのり、稔りは祈りという想いがこもっています。

Toshiyuki Kobayashiー小林稔之

小林みのり農園 園主
真夏の炎天下・真冬の極寒の中でも、黙々と働く男。
1974年 東京都板橋区生まれ
坂戸市西坂戸育ち5年生でジュニアバスケをはじめ、高校で引退するまでバスケ中心の生活。高卒後、マンホールの製造の会社に就職、その後、物流サービス業に転職。
1998年、職場で利江子と出会う。
2006年 結婚
2007年 娘誕生
2016年 長野県中川村へ移住
【趣味】 
家族でキャンプ・スノボ・体を動かすこと。車はスバルが好き。
阪神淡路大震災が誕生日だったので、毎年、歳を重ねるその日は、命の尊さを強く感じる


Rieko Kobayashi ー 小林利江子

東京都調布市生まれ育つ。
最初の子育てを世田谷ではじめる。
1996年 離婚
1998年 埼玉県東松山市に引っ越し、ここで、ふたりの子育てをする。稔之(トシ)と出会う。

2002年 トシとお付き合いを始める
2006年 トシと結婚
2007年 末っ子出産
2016年 末っ子を連れて長野県中川村へ移住。

やりたいことが見つからず、模索する人生。とにかく、目の前にあることをやってきた。稔之と出会った時は会社で唯一女性のフォークリフトオペレーターでした。その後、父のNPO法人で有償ボランティアに携わり、精神病院に通う女性を多く担当同時期、リフレクソロジーの資格を取得。
2011年311で、どう生きるかを真剣に模索。その後女優の益井美由紀さんと出会い、多くの活動にかかわらせてもらい2014年5月東京都港区青山で行われた、みつばちの活動で、中川村の杉浦ファミリーと運命の出会い。同年8月にはじめて訪れた、中川村の美しさに感激人の暖かさ、大地のエネルギーに夫婦同時に「ここに住みたい」と強く願う。

長女は埼玉で結婚、ハンドメイド作家として小物から洋服まで制作。      
長男は大工。二級建築士。